モリワキエンジニアリング

創立以来参戦していた8耐を欠場する

■MotoGPのあゆみ

そして2004年、本場ヨーロッパへ

この年は去年、モリワキは鈴鹿8耐への出場を断念した。30年のモリワキのレース活動で8耐欠場は初めてとなる。
「どんなレースに対してもそうなんですが、常に本気で取り組んできたんです。勝つつもりでマシンを造り、勝つ気でレースに挑む。それがライバルに対しても、レースに対しても払うべき敬意なんです。8耐も、MotoGPも、全社を挙げて取り組まなければ成し得ない、とても高いレベルの世界なのです。だから真剣に考えた結果、MotoGP初年度の去年はそちらに集中し、8耐は断念せざるを得なかったんです。

モリワキのMD211VFも8耐から出発しました。MTM-1でずっと鉄パイプフレームを研究してきたからMDがあるんです。そのトライがなければいくらホンダの5気筒が手に入ったからといって、いまだにまともに走っていないでしょう。

そしてモリワキの8耐は終わっていません。今年は必ず出場します。そしてモリワキの8耐を戦います。MotoGPの体制がどうなっていても、モリワキは8耐で表彰台を狙うレースをします」。

モリワキの苦汁の選択だった。その8耐でウイダー・ホンダ学園・DD BOYSからエントリーした森脇尚護が総合3位、JSB クラス優勝となったのはせめてものファンへのお礼となった。

 

この時期にもMD211VFの開発とテストは進んでいった。ダンロップタイヤは毎回のように新しいタイヤを用意し、ニッシンは全く新しいキャリパーを作ってくれた。そして8月22日、ヨーロッパ最後となるチェコ共和国・ブルノGPが始まる。

ここでの決勝はあと一歩のところでプロトンKRの青木宣篤を捕らえられず、16位に終わった。
しかし森脇に落胆はなかった。

それほどこの3戦のヨーロッパラウンドは収穫があった。ワークスと同じ土俵で、彼らが何を目指し、悩んでいるかが分かった。320km/hに達するとき空気の流れがどうなるか、カウルのデザインにも新境地が拓けた。そしてブルノの決勝翌日、大きなニュースが待っていたのだ。